うつ、の与えてくれること
「うつ」、ってあって当たり前なんだ。
だって僕らが自分というアイデンティティを保っている限り 僕らはアイデンティティの枠と自分の理想との葛藤があるわけで、 そのとき、ひとつの形として 「うつ」という表出が見られる。
アイデンティティの枠を広げようと 人生や世界が自分に挑んでくるとき、 僕らは 「うつ」 を体験するかもしれない。
「うつ」 とつきあうということは ごく当たり前の作業のスタートのサインだ。
僕はそうとらえて生きている種類の人間なので、 ポジティブに考えよう などとは決して言わない。
気分が上がったり下がったりして 生きていることがごく自然だし、 その中で僕らが自分を知り、 新しい自分を見つけ、 それを生き始めることが どんなにか素晴らしいことか。
「うつ」にいるときには まだ生きられていない自分の何かに気づくこと そしてそれを止めているものに気づくこと 最後にそこに静かにい続けてどこに進むのか見定めること
静かに時を待つ感じ、 僕の場合。 豊かな時間だ。
「うつ」にいる人のために 周囲の世界がそれを大切に 待ってくれるようになるといいよな。